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広島の日, 長崎の日に by Yoko Ono [徒然なるままに]

昨年記事にさせていただいた、小野 洋子さんの文章、再掲載いたします。 
人間は忘れる動物。というか、生き物は忘れて生きて行くもの。
でも、人間は、記録するということができます。
去年と今年、どのくらいの事を、忘れたのかな?
自分で読み直して、そう思いました。 
2012年 8月6日 Kayo
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http://imaginepeace.com/?p=15571

広島の日を迎え、小野洋子さんが、Webに掲載したメッセージ。
素晴らしい文章だと思いました。
そして、上記ページに翻訳機能もあるのですが、この日本語は正直、かなり残念なものですし、
ひょっとしたら、どこかで、彼女の日本語版というのがあるのかもしれず、そうだったら、大変おこがましいこととおもいつつ、名文だとも思ったので、自分のために、訳してみました。

実のところ、やはり「企業や政治に対する怒り」は、私としては持たずにいることは、難しいです。
でも、彼女の言う通り、それが、時間を無駄にするとなのも、納得ができるし、人を信じることから、いや、自分を信じることから生じるパワーというのは、この難局にとても必要なことなのだと、感じます。

福島原発の事故のあった年の広島の日に

以下訳:Kayo
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広島の日、長崎の日に – August 6th, 2011 by YOKO ONO

人類の知性と、眠っている無意識の能力を信じて

昭和20年、広島と長崎に核爆弾が落とされたということは、史上最大の悲劇でした。66年という月日が経った今でも、まだ、たくさんの人が広島と長崎では、その後遺症に苦しんでいます。

そして、また核の悲劇が幕をあけてしまったのです。2011年3月11日の大地震と津波から。

でも、今回は世界の人々は賢くなっています。皆、気がついています。この悲劇が日本の福島という限られた地域の悲劇でなく、この星全体の悲劇だということを。

この悲劇から私たちが受けた警告を肝に命じ、この地球の全ての人の信念と努力で、危険にみちあふれた世界を後にし、新しい未来の世の中を光のような早さで築いていくのです。

そう、それが、我々のするべきこと。そして、私たちは、それが、できるのです。

「その人の考えたことが、その人と成りとして、現れる」 仏教の教え。

悪いことが起きている時に、どうすればいいのか、私たちは、わかっているのです。

今、この時こそ、全ての人類が、自分の中の無意識の中に眠る力をしぼり出して、未来を健全で、平和な世の中にすることから阻む、大きな山を動かすのです。

まずは、「いい事を考える」ことから、始めましょう。 ー特に自分のことを。--
自分の欲でしか動かない、企業、口から出任せの政治家に腹を立てて、時間を無駄にしないこと。自分たちに何ができるのか?それだけに、集中するのです。

私たちの中にある「良いところ」みんなにあるはずです。それを信じましょう。
魂の乾きに苦しんでいる人々には、オアシスになってあげましょう。不正、不公平のない、社会を目指すのです。

今回、史上稀な試練を私たちは与えられたのです。大規模な啓蒙、そして精進をしなさいと。
今まで経験した試練とかわりはありません。いつだって、人類は試練を経験し、それと付き合い、乗り越えて、バラの香りが、ただようほど、幸せを手に入れてきたのですから。
人類とは奇跡の種なのです。なんでも、やりたいことが、出来るのです。
何をするべきかだけを考えましょう。とても単純なことです。

人々の瞳を見つめて下さい。
それは、貴方の瞳なんです。
きれいですよね。
笑っていますよね。

出発です

心をこめて
yoko

Yoko Ono

元気出せ 自分 コンピレーションアルバム(笑) [徒然なるままに]

音楽で癒されることは、とても必要なことなんだと感じている今日この頃です。
で、今日は自分の為の、元気を出すための、または癒しのコンピレーションアルバムをiTuneで作ってみました。 皆さん、なんか追加のおすすめあります? 
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上を向いて歩こう 坂本 九

ひょっこりひょうたん島 前川陽子

ニルスのふしぎな旅 加橋かつみ

(Just Like) Starting Over John Lennon

Silly Love Songs Wings

I'll Be There Michael Jackson

Cheer Down George Harrison

You'll Never Walk Alone Gerry & The Pacemakers

Ferry Cross The Mersey Gerry & The Pacemakers

Don't Let The Sun Catch You Crying Gerry & The Pacemakers

風になる つじあやの

Ben Michael Jackson

All kinds of everything   Dana 

There's A Kind Of Hush (All Over The World)  Herman's Hermits

Hey Jude The Beatles

見上げてごらん夜の星を   坂本 九

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原子力について考えてみました [徒然なるままに]

今皆さんにとっても、大きな関心事、そして、これに「振り回されている」感の強い原子力について、少し書いてみたいと思います。
と、言っても私は、何の専門家でもありませんし、振り回されている一人です。

そんな中で、様々な記事をあるときは自主的に、そしてあるときはなんとなく、読んできました。
ツイッターでリツイートしましたが、私の思いに近いことを、最も的確に書いて下さっているなと感じたのが、乙武洋匡さんのリツイートから私は読んだものです。
人の意見を拝借して、はなはだ、ずるい、記事でごめんなさい。
飯野賢治さんの記事です(申し訳ありません、私は詳しくこの方のことを存知上げません)
まずは、この記事を少しでも多くの方に読んでいただきたかったのです。

http://blog.neoteny.com/eno/

日本という国が今後も残っていくのであれば、福島の原発の件は、私たちに、今後の電気について、考えなければいけないという、何かの警告だと、私も感じています。そして「原子力をどうするのか?」という問題をギリギリまで、突きつけられているのです。のど元にナイフあてられてる感じです。とても大事な事ですから、冷静に決めなければいけません。でもね、今回のことが、「これからも、原子力を安全に使っていきましょう」という何かの導きとは、どうしても私には思えません。
もちろん、遠い将来のことを考えれば、もっと安全に原子力を使っていくことも可能なのかもしれません。でも、現状ここまで、私たちは不安を覚えているのです。怯えているのです。現実に壊れてしまった原子炉をどうすることもできずに3週間を過ごしているのです。これから、どこまで、害が広がるのかの情報も得られぬまま。 飯野さんの記事からも、原子力を使わない事にする場合、その代償があることも書かれています。それも私たちは、真剣に考える必要があるでしょう。光熱費が上がる事に対しても、耐えていく必要があるのかもしれません。 でもとにかく私達が国民が真剣に考えて、その民意を本当に反映する形で、この方向性が決められることを私も切に望みます。

しかも、これは、日本だけの問題ではないですよね。しかも日本だけで解決できるほど、小さな問題じゃないんだと思います。一人で抱えきれない問題は、人に(他の国に)も頼るしかないと思います。
頼る時には、できるだけ、上手に頼まないとですね。具体的ではないし、私が語る価値があるのかどうか…でも、考えたので、アップしておきます。

悲しみをぶっとばせるのか? [徒然なるままに]

東日本大震災。
まだそのまっただ中に私たちはいますね。
2週間が過ぎ、今まで経験をしたことのない量の悲しみと、不安を日本にいる大半の人、そして海外にいる多くの人が、感じていることでしょう。日本人でなくても、日本に住んでいる人を私も何人か知っています。彼らは私と同じように悲しみ、不安です。海外にいても、日本人なら、家族は日本にいるでしょうし、何らかの形で日本に接点のある人は、同じように心を痛めています。

一番の悲しみは多くのいのちが、失われたことです。

私は、またもや、「助かっています」。
どういう意味かというと、私は2度にわたり心臓の疾患で「いのちの危機」を経験しましたし、2年前に、別の名前にちょとインパクトのある病気を診断され、薬を飲んで命をつないでいます。
一度目は手術で助けられました。 2度目も病院での治療で助けられました。そして、3度目も、薬によって、2年間助かりました。 その度に、辛さや、悲しさ、沢山経験したのですが、一度目に助かってから、2度目の危機まで、楽しいことも沢山あり、好きな人にも沢山。。。てほどじゃないにしても、出会いました。2度目に助かってから、3度目の危機までも、そう。その度に仕事も変わりましたが、もちろんイヤな思いもしていますが、今はやってよかったと思っていることが、殆どです。いや、むしろこう考えています。今まで助かったのは、何かの力が「私にもうちょっと違う経験をせい!」と仕組んでのことなのかと。

今回何故私でなく、違ういのちが沢山失われてしまったのか。それを誰かが仕組んだのか?それは私にはどう考えてもわかりません。ただ、ひとつ言えるのは、いのちの長さは平等でなく、そして、どのいのちにも終わりがあるということ。

いままでの危機と今回が違うのは、今までは私一人のいのちの危機であったものが、今回に関しては、「まわりの皆」の危機であるということ。正直これキツイなと感じています。

今、まだ混乱して、まとまらない頭の中で、しようとしていることが、二つあります。

ひとつは、とにかく、先を考えると、果てしがなくて、不安がつのるだけなので、短期的な目標をもって、短期的な計画で行動しようということ。次の日の朝ご飯のことを考え、明日しなくてはいけない、仕事のことを考え、もらったメールやツイートやmixiなどなどに、レスしようとか、何かこうとか。そして、もうちょっとだけ、先の計画として、桜の花見たいなとか。

もう一つは、自分の憂鬱を意識的に、表に出そうかなということ。今回の悲しみや不安は、あまりにも大きくて、多分この感情を我慢していることで、ずっとコントロールしていくことは、難しいような気がしているのです。だったら、少しずつ、その心の圧力を抜く作業として、たまにそれを言葉にするべきかなと。

2週間。未だに、一時的な安心すら得られていない状況ですね。切なる願いは、今日より明日、明日より明後日に、一ミリでも安心に近づいたのだという実感を得たいということ。ひとつ具体的に言うなら、原発の問題の「収束へのシナリオ」が、様々な人と国の力で、できあがりますように。シナリオは、その度書きかえていくもので、かまわない。多くの人は、まずは、そのシナリオを読むことで、判断ができたり、安心ができたりするものじゃないかなと私は思う。

まとまらない頭で、今、私が考えている事。

ありがとう ごめんなさい [徒然なるままに]

http://www.jiji.com/jc/figure?s=news&k=2010110600394
つぶやこうと思ったのだけれど、どうにも私の文章力では簡潔にまとめることができなかった。
上記の記事を今日読みました。

小塚選手の勇気、実直さを尊敬します。

記事のタイトルに「外交」とあります。
私は彼の母親でも、なければ、近所のおばさんでもありません。
だから、私はこの記事の「 」で、語られている彼の言葉を一生懸命解釈することしかできませんが、おそらく、彼が意図したのは、「外交」だったり、「政治」ではなく、彼が語っているのは、単にそこにいた客席の方々、だと思います。

私は一ファンとして、尖閣諸島のヴィデオが、各方面の意図せぬ形で公開されたその日、彼が中国で演技を行うことになっていることを、かなり心配しました。本人だって当然心配だったと思います。そしてすべて今回の中国杯が終わるまでそれを口にはできなかったことでしょう。そして終わったことろで、その思いが、この記事での発言に繋がったのは、想像に難くありません。

「うたぐってしまって申し訳ない気持ちでいっぱい」とあります。いいえ、彼は誰もうたぐったわけではないと思います。ただ、不安だっただけだと思います。中国の観客が皆暖かい人であることは、私も願っていましたし、純粋にスケートを楽しみに来たお客様なら、暖かく見てくれると思いたかった。
しかし、こういう情勢の中、どのような人が見に来るか?それはやはり持って当然の不安、心配だった。

でも、彼は終わった時に、そう思った自分が、暖かい皆さんに対し、後ろめたさを感じたのでしょう。そこで、「申し訳ない」と発言した。

どうか、この彼の発言、および、私のこのブログ記事を政治的なものとしてでなく、人と人の関係ということで、捉えていただければと願っています。

人と人の関係の中で、きっと一番大切なのが、「ありがとう」と「ごめんなさい」なんです。

そして、それを躊躇無く言えるということは、実はとても難しいことだと思う。人と人がうまくいかなくなる時、必ずこの二言の問題があるはずなんです。

多分それは、国や文化をかなり超越した問題だと思います。きっと様々な言語にこの二言に該当する言葉があり、それはきっと子供のときに大切だと教わるものだと想像できます。言われたでしょ?「お菓子もらったの?ありがとうは?」「○○ちゃんの、おもちゃ壊しちゃったの? ごめんなさいは?」

この二言が躊躇無く言える人でありたい。そう気づかせてくれた彼の発言でした。
ありがとう小塚君。

声の花束 [徒然なるままに]

先日私の会社が、ボランティア活動として、「声の花束」というプロジェクトに参加しました。
そして、我が社の中で、有志として、私はこのプロジェクトに参加しました。

つまり、本を読んでそれを録音したものをこの「声の花束」のサイトにアップすることで、視覚障害のある方がそれを聴けるようにというプロジェクトです。

私の会社では、今回12名で、ある物語を読みました。
なんていう物語を読んだかをここで書いてしまうと、我が社がバレルので、ここまでで、ご了承を。

ま、物語を読む前に、目が見えないってどんなこと?という体験として、利用した会議室の後ろから前まで、アイマスクをつけたまま、歩くという経験をしましたが、机や椅子を触ってつたい歩きをしていったのですが、大変でした。その時にこの会を主催しているフィランソロビー協会の方のお話では、駅のホームなどからの視覚障害の方の落下の事故はとても多いそうです。それが大きな事故になることなければ、マスコミなどで、取り上げられる事も少ないのですが、やはり落下をすることは多いようです。皆さんも白い杖を持った方を駅でみかけたら、「お手伝いしましょうか?」と声をかけ、助けが必要そうなら、その方に皆さんの肩、または、腕に手をかけてもらう形での誘導、是非お願いします。

さて、音読の方は、とても楽しかったです。緊張もしましたけれど、ひとつの作品を皆で作る楽しみがありました。まだ、今は協会の方が編集中だとおもうもですが、そのうち私達の読んだ物語がネットにアップされることになると思います。間の取り方って本当に大切ですね。ちょっとしたその協会の方のアドバイスで結構読みが良くなったりするのも嬉しい発見でした。

ご興味のある方は「声の花束」で検索してみてください。

K先輩 [徒然なるままに]

先日大学時代の先輩の命日に大学時代の先輩、同期、後輩と会った。

私が大学時代に所属していたクラブは、かなりベタな文科系であるにもかかわらず、
ノリは、結構体育系だった。
毎日、昼練(我々はそれをヌーンプラクティスと呼んだ)があったから、お昼ご飯はその前後の空き時間に、学食のクラブの専用席のようになっている、「たまり場」ですませていたし、授業後の活動の後も、部室にいることが多かったし、飲み会も多かった。
そんなわけで、大学4年間の中で、このクラブの仲間と過ごした時間は、かなりのウエイトを占めていた。

卒業して、それぞれ当然バラバラの道を歩いてきたわけで、私の場合、何度が転職も繰り返したし、
そんなこんなで、その時その時「今」を生きるのに一杯一杯で、実はその仲間とも、疎遠になっていた。

私の2年上で、30歳の若さで亡くなったのが、K先輩。
彼が入院した時には、お見舞いにもいった。
でも、その先輩が亡くなった時に、お葬式にかけつけることはできなかった。
もう四半世紀近く前の1月のことだった。
確か当時私は子供英語を教えていて、英語ミュージカルなんかに携わっていたこともあって、土日もなく、働いていたので、その忙しさを、口実にしてしまったんだと思う。

一昨年の暮に、某SNSで、K先輩の同期のある先輩と連絡をとるようになり、「年のはじめに、毎年有志が集まって、お墓参り、そしてその後に毎年同じ店で集まっているから、Kayoちゃんも来ない?」と誘われ、誘われるままに、昨年の1月にこの「K先輩の会」に参加させていただいた。クドイが、ほぼ全員、四半世紀ぶりにお会いした。話はじめると、皆、その当時に精神的にワープするので、不思議とそれだけの時間が流れていたという違和感を感じなかった。先輩達が大切にK先輩の写真をアルバムにしていて、そして、その後ほぼ四半世紀(クドイ)の間続いている「K先輩の会』の写真なども拝見した。K先輩は、私にとっては、とても大人な存在だった。当時の2年の差というのは、とても大きくて、10歳くらい年上くらいの感覚を私は持っていた気がする。
でも、久々に見たK先輩の写真は、とてもとても若くて、それがなんだか悲しかった。

昨年の4月に私は病気になった。
K先輩は、私が診断されたのと同じ種類の病気だった。(この病気、種類が色々複雑なので、その意味で同じと言えるかどうかは、疑問な部分もあるが)私に診断が下った時には、やはりK先輩のことを思った。

昨年の夏頃からこのblogでも呼びかけた署名の件、この「K先輩の会」参加者の方々にもお願いをした。
昨年の「K先輩の会」に私が参加していなければ、お願いすることは、なかったと思う。
お願いした時に、何人かの方からメールをいただいた。そのことで、随分心強く思った。病「気」ってくらいで、病人にとって、気の持ちようは本当に大切なんだと思う。もちろん例の薬を、私が多きな副作用なく飲み続けることができ、また、その薬の効果が私には高かったという、物理的幸運はあったと思うが、同じくらい、大切だったのが、「いかに気持ちが病気にならないようにするか」だ。
私の主治医がよく言ってくれた言葉。入院中も、「毎日でも外出許可出してあげるから、近くのデパートあたりまでなら、行ってきていいですよ。病院の中にずっといると、気持ちが病気になちゃうよ。」ってな具合に。もちろん、外出が可能な安静度の治療だったから、できたことなのだが。
話がそれましたが、それだけ、気持ちの面で、その大学時代の仲間に救われたわけで。
もちろん、他にも家族、職場の仲間、ネットの仲間、色々な方に救われました。
なんか、こう書くと、私がものすごく前向きのように、聞こえてしまいそうで、それは、私の本意ではく、ブラックな私も確実に存在しておりますし、今本当に辛い治療に向き合っている人からしたら、こういう言葉は、読むのが辛いものだと思うので躊躇もある。

でも、なんだかやっぱり不思議です。20年以上会っていなかった皆さんに、「K先輩の会」ということで久々に会ったその年に、自分もその先輩と同じような病気と診断され、その先輩の仲間に救われている。
だから、今年もこの会に顔を出しました。「なんとか、仕事に戻りました。」って。

ちなみに、このK先輩の会は、「毎年同じ日、同じ時間に同じ場所集合。その時間に間に合わない人は、毎年同じ店に直行すること」ということで、行われている。


*なんだか、「である」調の中に「ですます」が混ざっている小学生だったら、バリバリ減点の文章でだな。ま、許して下さいませ。

写真は本文と全く関係のない新宿新年のイルミネーション

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シルバーウィーク [徒然なるままに]

今更ですが、シルバーウィークには、公園などを散歩してました。
以前ならカメラ持って出かけたとこなんですが、ちとその気力はまだちょっとありませんで、
ケイタイの画像でご勘弁。

浜離宮庭園、黄花コスモスきれいでした。

秋はいいな。

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僕の歩く道 [徒然なるままに]

テレビドラマってそれほど見る方じゃないんですけれど、
草なぎ剛さんの「僕」シリーズは3部作とも見入ってしまっています。

今回のシリーズは、自閉症というのが、ひとつのテーマなんですけど、
私の職場は、様々な障がいを持っている人が働いているので、自閉症の方も
いるわけです。ご存じな方はご存じな通り、私は現在の職場でそろそろ1年を迎えるという新米ですので、自閉症という障がいに関しても詳しいわけではありません。
ただ、多分毎日顔を合わせている彼等を知っているからこそ、今回のドラマは、
楽しく見ていると思います。
これは、ドラマですし、「現実にはちょっと違うかな」という部分もないとは言えません。でも、自閉症の特徴である、何かに対する強いこだわりだったり、記憶力の良さだったり、几帳面さだったり、失敗を恐れるところだったり、「そうそう!!」と思う事が沢山あるドラマなんです。詳しい記述は避けますが、このドラマの中で主人公は、「カレーはやっぱりチキンカレー」と言って毎食お昼にカレーを食べ続けるのですが、私の同僚も、毎日同じお弁当屋さんを利用しているようです。もっと近くにお弁当屋さんも、コンビニもあるのですが、自転車で必ずそのお店に行くのです。

このドラマで、自閉症に対する社会での理解が、少しでも深まればそれは、とても嬉しく思います。そして、ドラマの中では、長山藍子さんが演じていますが、自閉症のお子さんを持つお母さんに対する理解、これも少しでも広まってもらえたらと思います。

私は、PC操作を自閉症の人に教えることもあるのですが、彼等は一度覚えれば、非常に早く正確に入力をおこなうことが多いです。間違えには、よく気が付きます。
私なんてよく指摘されます。(^^;確かに彼等が企業で活躍する場は、工夫次第で、広がるのです。工夫次第と簡単な言葉で片づけましたが、これに必要なエネルギーが莫大であることも否定できません。でも、彼等は、現状まだまだ、養護学校でのカリキュラムが、充分でなかったり、企業の理解がなかったりするために、才能を眠らせている率が高いようです。

べつにフジテレビのまわし者では、ございませんが、「僕の歩く道」のお話でした。
tp://www.ktv.co.jp/bokumichi/

で 画像は、やっぱり チキンカレー (多分チキンも入れていた去年の夏に撮影したミックスビーンズ入り夏野菜カレー あ...こういう邪道がきっと自閉症の人には、許せないんだ(笑))


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おそまきながら、心からお悔やみ申し上げます [徒然なるままに]

元Lazyのファニーさんが、心不全の為9月1日に亡くなっていたと、知りました。
遅いですね。
詳細調べられなかったのですが、同世代の死は、辛いです。
割と最近とある場所で、ポッキーさんと彼は90年代もNeverlandというバンドで活躍していたということを知ったところでした。
心から哀悼の意を表します。


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